1960年代に夢の島で採取された民族音楽のコレクション vol2 by Thirdorgan
Credits
released June 7, 2019
夢の島
戦前の1938年(昭和13年)、「東京市飛行場」建設のために東京湾の埋め立てが開始されたのが夢の島の始まりである。当時としては世界最大級の飛行場となる計画であったが、日中戦争に伴い工事用電力の供給設備資材を確保できず、完成を見ぬまま1941年(昭和16年)に工事は中止された。終戦後、駐留軍に接収された羽田空港をGHQが大型機の離着陸用として整備したため、飛行場計画は事実上消滅した。残された埋立地は海水浴場として賑わっていた。
1950年代、東京都内でごみが急増し始め、それに対応するため東京都は当地をごみ処分場として決定し、1957年(昭和32年)12月には埋め立てが開始された。それ以降、1967年(昭和42年)までこの地への埋め立ては続いた。なお、埋め立て中の1961年(昭和36年)7月23日に埋立地北部から出火、消防挺3隻での消火活動も及ばず2週間に渡り燃え続け、4万平方メートルが焼失している。これは当時の総面積の約40パーセントに相当した。
1965年(昭和40年)7月16日、夢の島で発生したハエの大群が強い南風にのって、江東区南西部を中心とした広い地域に拡散し、大きな被害をもたらした。都と区による懸命な消毒作業が行われるが、抜本的な解決にはならず、警察、消防、自衛隊らの協力を得て、断崖を焼き払う「夢の島焦土作戦」が実行される。
埋め立て終了から11年後の1978年(昭和53年)、東京都立夢の島公園が開園。整備が進み、「ゴミの島」という雰囲気を感じさせることはなくなっていった。
現在ではスポーツ施設が建設されるなど緑の島として生まれ変わっており、京葉線の開通などにより身近な人気スポットとして親しまれている。
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A2%E3%81%AE%E5%B3%B6
夢の島
戦前の1938年(昭和13年)、「東京市飛行場」建設のために東京湾の埋め立てが開始されたのが夢の島の始まりである。当時としては世界最大級の飛行場となる計画であったが、日中戦争に伴い工事用電力の供給設備資材を確保できず、完成を見ぬまま1941年(昭和16年)に工事は中止された。終戦後、駐留軍に接収された羽田空港をGHQが大型機の離着陸用として整備したため、飛行場計画は事実上消滅した。残された埋立地は海水浴場として賑わっていた。
1950年代、東京都内でごみが急増し始め、それに対応するため東京都は当地をごみ処分場として決定し、1957年(昭和32年)12月には埋め立てが開始された。それ以降、1967年(昭和42年)までこの地への埋め立ては続いた。なお、埋め立て中の1961年(昭和36年)7月23日に埋立地北部から出火、消防挺3隻での消火活動も及ばず2週間に渡り燃え続け、4万平方メートルが焼失している。これは当時の総面積の約40パーセントに相当した。
1965年(昭和40年)7月16日、夢の島で発生したハエの大群が強い南風にのって、江東区南西部を中心とした広い地域に拡散し、大きな被害をもたらした。都と区による懸命な消毒作業が行われるが、抜本的な解決にはならず、警察、消防、自衛隊らの協力を得て、断崖を焼き払う「夢の島焦土作戦」が実行される。
埋め立て終了から11年後の1978年(昭和53年)、東京都立夢の島公園が開園。整備が進み、「ゴミの島」という雰囲気を感じさせることはなくなっていった。
現在ではスポーツ施設が建設されるなど緑の島として生まれ変わっており、京葉線の開通などにより身近な人気スポットとして親しまれている。
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A2%E3%81%AE%E5%B3%B6